長男を妊娠した日から、子育て日記をつけている。
写真を貼ったり、保育園や学校、習い事でもらってくる
賞状などを貼ったり、雑多だけれど、
自分なりにアレンジして、どうでもいいことでも、
毎日一言書くようにしている。
大きめ、分厚めのノートやデッサン用のスケッチブックなんかを
スクラップブックのように使うので、
使っているうちにどんどん分厚くなってしまう。
もっとページ数の多いスクラップブックがあるといいのだけれど。
分厚くなりすぎて、表紙が破れたりなんかすると補修したりする。
だから、ノートを1冊分記録が終わると、かなり年季の入った見た目になる。
コメントはすべて手書き。
時々書いてない日が続いたりすると、PCで入力して印刷したものを
貼ったりするけれど、基本は手書き。
先日、今つかっているスケッチブックがあまりに分厚くなってしまったので、
ふと、次のノートはオンラインで注文できるフォトブックにコメントを書くようにして、
日記代わりにしたらいいんじゃないか?という案が浮かんだ。
多分、可能。
でも、そうなると思い出の賞状やチケットやらが貼れない。
もちろん、貼ってもいいけれど、
そのフォトブックを注文するまで保管しておかなきゃならないのも、
難しいなぁ、とも思う。
それに、ノートに貼ったりできないような大きなものや、
立体的なもの、重いものなどの扱いはとくに困る。
写真や私のコメントはともかく、
長男が学校の図工の時間で取り組んだ作品や、
次男が保育園で毎日のように作っては持ち帰って来る紙飛行機などは、
とっておいたら、
いつか彼らが箱から出して眺めて、
「うわ~!なつかしいなぁ!」となるのだろうか。
私は、これらの思い出の品は、作った子供たち本人たちのものではなく、
母親のためのものだ、と感じる。
子供が何か節目を迎えたり、反抗期の始まりのような時に、
思い返したり、実際に箱から取り出したり、写真を見返したりして
懐かしむことで活力を得たり、「懐かしいなぁ、かわいかったなぁ」と
しみじみしたりするためのものだ、と感じる。
そして、そういう瞬間は母親には必要なものだと思う。
だから私は、とっておいても、育児日記に貼れず、
リビングに飾ることもできなくて、
納戸に保存しなければならないような図工の作品などは、
一通り、眺めたり、ほめたり、家族の話題に乗せたりしたら、
写真を撮って、捨てることにしている。
(そして、その写真は育児日記に貼る)
日記はとっておいて、彼らが例えば20才になったら、
見せようか、というかプレゼントしようかと思っているけれど、
男の子ということもあり、見向きもしないかな(笑)
それなら、私が死んだ後、彼らが一通り眺めてから
捨ててくれればいいようにしておこう。
または、火葬の時に一緒に燃やしてくれるでもいい。
そんなドラマみたいにうまくいくといいけれど(笑)。