2024年の春というか、春前、新春(?)に放送されていたドラマ。
がんで余命宣告を受けた父と娘のお話。
木梨憲武さんのお父さんっぷりも奈緒さんのお父さん思いの娘っぷりも大好き!
私と父も決して不仲ではなかったけれど、父はいろいろ問題を抱えている人で、
しかも急に具合が悪くなって急に死んでしまったらから、
「俺が死んだら」とか「俺が死んでも」とか、そういう話をする時間がなかった。
まぁ、もし時間があったとしても、
そういうことを素直な気持ちで話すタイプではなかったので、
結局死ぬ準備なんてしなかったろうなとも思う。
それに比べて、母と私の関係、そして母の最期はこのドラマの設定に似ていた。
大腸がんだった母は、診断と同時に余命半年という宣告も受けた。
そして、それを迷うことなく、すぐに私に打ち明けた。
母がいなくなることがどうしても想像できなくて、でも想像すると寂しくて、途方に暮れた。
母は痛みや症状を抑えて、できるだけ日常生活を送れるようにする終末期医療と、
いわゆる延命のための手術や抗がん剤などの両方をやった。
手術では、人工肛門になったし、抗がん剤治療のために胸にポートも付けた。
「半年より少しでも長く生きたい」と素直に言って頑張っていた。
一方で、治療のせいで体力が削られ、
寝込んだりするような状態は避けたいと先生に相談していた。
お医者さんも副作用の様子とがんへの効果の間で
うまくバランスを取るように色々やってくれた。
結果、余命宣告より3か月ほど長く生きて亡くなった。
この3か月を、
「頑張ったんだね!」と思うか、
「やっぱり余命宣告ってそんなに外れないね」と思うかは、人による。
私は、両方だった。
死んでしまった直後は、比較的後者。
そして、だんだん時間がたってくると前者。
母の最期の言葉は「楽しかった!」だった。
「あんたが娘で、楽しかった」と。
私にはそれで充分だった。
その言葉だけで悲しみを乗り越えられる。
私も母も「またね」と言ってさよならした。
でも、父の場合は終活らしい終活も、最期の言葉もなかった。
そもそもなかなかに拗れた父娘の仲だったのに、
解決の言葉も何もなかったので、
ただやり場のない悲しみと寂しさ、少しの怒りが、
ほんの少しなのに根深い確かなシコリになって残る。
これがつらい。
「春になったら」の父娘のような関係だったらって思わずにいられない。
このドラマのようなポジティブな親子でも、
お互いにたくさんの葛藤を抱えて死に向かっていく。
でも、その葛藤に一生懸命向き合って理解し合う。
理解し合うことがなかったのが、
きっと私と父の毒だったんだと思う。
親子でも「言わなくてもわかる」なんてことほとんどない。
言わなきゃわからない。
どれだけ愛しいと思っていたか、
でも、私と父みたいに、親子であっても
うまくいかなかった関係なら、
せめて「うまく伝えられなくてごめんね」って。
父にも行ってほしかったし、私も言うべきだった。
言いさえすればよかったのにな。
だから、私は子供たちの話をもっと聞こうと思う。
聞いて、話そうと思う。